僕の生まれた事実

皆さん知っての通り、僕は生みの親に捨てられた、いわば捨て子というやつだ。育ての親は相当クレイジーだが僕を社会で働けるくらいにはきちんと育ててくれた。感謝しているが、自分が捨てられたという事実はいつまで経っても捨てられない。生みの親の名前も顔も知らず、21年間生きてきたが今年の誕生日、とある転機を迎えた。僕にとっては人生の全てに関わることだった。それをここに吐き出していこうと思う。

 

僕は6月某日、誕生日を迎えた。22歳になるその日の前日、僕のいた孤児院でいわゆる院長的な立場にいた広尾さんから連絡がきた。「渡したいものがあるから会いたい」と電話で神妙に言った広尾さんの表情は多分硬かっただろう。誕生日当日、僕は広尾さんに会うことにした。広尾さん家近くで待ち合わせをし、喫茶店に入る。コーヒーの匂いが充満した店内は僕にはちょっとした地獄のようだった。その中、広尾さんに渡されたのは薄汚れた茶封筒だった。僕の生みの親からの手紙らしい。22年前、僕と共に捨てられた茶封筒は、広尾さんの手で大切に保管されており、22歳になったら渡そうと決めていたと言われた。なぜ22歳なのかは甚だ疑問だが、僕はその茶封筒をリュックにしまって広尾さんと別れた。帰路につく中、僕は背中によくわからない熱をかかえたまま電車に乗りこんだ。1人で読むというのは、小心者の僕には無理なことで、でも一緒に読んでくれるような人も心当たりがなかった。だから僕はたくさんの人でぎゅうぎゅう詰になっている電車の中でその茶封筒を開けた。中には丁寧に三つ折りにされた白い便箋が2枚と、写真が入っていた。1枚目の便箋には「生まれたてのあなたへ」と始まりがあり、22歳になった我が息子への未来への言葉が綴られていた。綺麗な少し丸みのある字は女性らしさがまざまざと出ていて、これが僕の母親の字なのか、とどこか他人事のように思った。

恋人はいるのかな?学校には行ってるのかな?毎日楽しく過ごしたいますか?あなたが生まれた時、私は天にも上る気持ちでした。あなたが22歳になった時、私はきっとこの世にはいないと思いますがあなたが日々を健やかに過ごしていることを願います。生まれてきてくれてありがとう。あなたを愛しています。

そんな簡潔な文章の最後は、ままより、でしめられていた。そしてもう1枚の便箋は角ばった字で「申し訳ないが、お前は死んだことにさせてくれ」と一言、綴られていた。多分、血の繋がった父親からの手紙なのだろう。申し訳なさなど1ミリも感じられない、罪を体現したような手紙だった。

そして写真には生まれて間もない赤ん坊を抱く女性が写っていた。赤ん坊を真っ直ぐ見つめる女性の目は愛おしそうに細められており、裏側を見ると「ハルとアキ」と僕の生年月日が書かれていた。

僕の愛された証、僕が生まれてきてしまった罪。全てが茶封筒に納められていた。満員電車の中で涙が止まらなくなり、周りに悟られないようにするのが精一杯だった。初めて他人に全く興味を示さない満員電車に感謝した。ハルという産みの母がいたという事実、それだけで僕は十分だった。例え会ったことのない父親の中で僕が死んでいたとしても、殺さずにいてくれたことは感謝したい。世の中たくさんの不幸があふれているが、確かに僅かでも愛があった。僕はそれを今年の誕生日に知った。