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クリスマスイブのイブのこと④

そう、それで僕たちはそれから会うこともなかったんだ。見送りにも行かなかった。出立日も聞いてなかったしハルから連絡も来なかった。ただ僕の頭の中にはハルのあの気丈な、しゃんとしたあの姿がずっと張り付いていて離れなかった。色んな女の子とキスをしたし、セックスもしたけれど、ハルとの食卓に勝る幸福はどこでも得られなかった。僕は多分、虚しくて悲しかった。自分から別れると決めたのに。なんてわがままで仕方ない人間なんだろう。あの時は彼女のために、なんて言っていたけれど結局は自分のためにハルと別れたんだと気づいてから、さらに情けなくなってしまった。僕はハルと付き合いながらも遠く離れてしまうことが怖かったんだ。そして日本に帰ってきたハルを抱きしめられる自信がなかった。だからといって結婚しよう、とも当然言えなかった。

僕はハルに自分の身の上話をしていない。僕は両親に捨てられた身で、今でこそ幸せだけれどたくさんの苦労をしたこと。自分の生みの親とは一生会うつもりもないこと。どこの馬の骨ともわからない僕を引き取ってくれた人がいること。だからこそ、結婚して子供がほしいと言われた時に、僕はとても怖いのだ。自分の生みの親が、もし病気持ちで、生まれてきた子供が僕を通してその病気の遺伝子を引き継いでしまったら。色んな最悪なことを考える。僕は僕がわからないからこそ、僕の遺伝子を引き継ぐ人をこの世に産み落とされることが怖いのだ。そんなことも、ハルに話すこともなかった。

でもある日、今年の9月くらいにハルから連絡が来た。変わってないメールアドレスから、僕に届いたその内容は「12月に帰るからよかったら会えないかな?」ということだった。僕は慌ててケータイを落とした。お陰で画面は今も割れたままだ。ハルからのメールに動揺した。仕事してる間、ずっとハルのことが頭から離れなくて、仕事が終わった後返信した内容は「いいよ、会おう」と、それだけだった。下心なんて一切なかったし、あわよくば関係を戻すなんてことも考えてなかった。ただ会える、それだけで僕はなんとも言えない気持ちになった。多分、嬉しかったんだと思うけどなんとも言えなかった。後悔のが大きかったから。後悔と、懺悔と、あとなんだろう。とりあえず僕らは会うことになった。12月23日に、ハルはお互いプレゼントを持って新宿で、と言った。

そして当日、僕はハルへのプレゼントを持って新宿の東口にいた。たくさんの人の中、どこからかクリスマスソングが聞こえる。僕はハルをすぐに見つけられた。あの頃とは違い、伸びた髪の毛を揺らして、ハルは僕に駆け寄ってきた。僕を見つけて駆け寄る癖は変わらないままだった。「久しぶり、だね」と笑ったハルの唇には赤い口紅が塗られていて、あの頃と変わったものもあるんだなとしみじみ思った。赤い口紅なんてしなかったくせに。「久しぶり」と笑ったつもりでいたけれど、僕は多分笑えてなかったし、元々そんな自信もなかった。僕とハルは歩いて、新宿の京都野菜が食べれる店に入った。ハルは僕に海外のこと、仕事のこと、色んなことを話してくれた。あの頃より綺麗になったハルはなんだか別人みたいだったけれど、ご飯をたくさん頬張るところも、幸せそうにおかずを食べるところも、何も変わってなかった。そしてご飯を食べながら幸福を感じる空間になるところも、お互い変わってなかった。「ハル、綺麗になったね」と言えば、ハルは嬉しそうに「ありがとう、頑張ったの」と言った。お互いご飯を食べて、デザートを食べる頃にプレゼントを交換した。開けるのは家に帰ってから、と約束して。店を出て、僕たちはクレープを食べて、その時も僕の仕事の話をしたり、他愛のない話しかしなかった。でも、駅で別れるとき、ハルは僕の手を握ってきた。向かい合っていたから握手みたいになったけれど。「マルオはさ、私のこと好きだったよね、あの頃」とハルは聞いてきた。「好きだったよ」と僕はハルを真っ直ぐ見ながら言った。「私もね、マルオのこと好きだった。だから仕事で転勤の話をされた時、私から別れなきゃって思ってた。年上だし、私のが大人だし。でもね、怖くて言えなかったの。マルオに簡単にいいよって言われたらどうしようとか、これっきり会えなかったらどうしようとか、私そんなことばかり考えてた。私は私のことしか考えられなかった。でもマルオのが大人だったよね。私に別れようって言ってくれてありがとう。私と別れてくれてありがとう。泣いたマルオみたのは、あの日が最初で最期だったなあ。ねえマルオ、私のこと、まだ好き?」聞いてきたハルの目にはたくさんの涙が溢れそうになっていて、僕は拭いたくなった手を握った。「好きじゃないよ、大切だった人だよ、ハルは」と言った。ハルは泣きながら「ありがとう」って言って、僕たちは別れた。僕はハルを見送ったあと、その場から動けずにしゃがみ込んで泣いた。1年前の別れた日のようだと自分で思った。

なんとか家に帰って、僕はハルから貰ったプレゼントを開けた。中には僕が今までハルにあげたものが入っていて、メッセージカードには「捨てられませんでした、ごめんなさい」とだけ書かれていた。ハルは、僕にちゃんと別れを告げに来たんだ。僕だって気づいてないはずないだろう、ハルの指輪に。そんなの気づかないわけないだろう。ハルは指輪こそしてなかったけれど、首元から覗く輝く指輪を僕はちゃんと見ていたし意味はわかっていた。だからプレゼントの中身を途中で抜いて自分のカバンに入れて、ハルに空の紙袋を渡した。ハルにもう、僕の気持ちをあげるわけにはいかないから。

さようなら、ハル。なんて、そんなこと一度も言えなかった。ハルはどうして僕に好きかなんて聞いたんだろう。あの時好きって言ってたら僕の元に来てくれたのだろうか。なんでハルは泣いたんだろうか。そんなこと気にするのは野暮なことなんだろう。女心なんて一生わからない。わからないままでいい。ハルは僕にとって最愛の人だった。それだけでいい。もう会うこともない。さようなら、ハル。

クリスマスイブのイブに、僕はきちんと失恋した。あの日消化不良だった恋はきちんと終わりを告げた。この話の中にフィクションはいくつか入ってるけど、大部分はノンフィクション。僕とハルという存在はノンフィクションで、ハルという名前はフィクション。そんなこと多分どうでもいいけど。結局僕はただの未練タラタラ男だったってだけのこと。それだけのことだった。